戦国時代や江戸時代に男色(男性の同性愛)が盛んだったというのをよく見聞きします。
なぜ盛んだったのか?
なぜ衰退したのか?
以前からこういう疑問があって、こんな本を見つけたので読んでみました。
『男色の日本史』ゲイリー・P・リューブ
著者は、日本史を専攻しているマサチューセッツ州タフツ大学の教授で、このテーマの研究についての第一人者みたいな人です。
●なぜ盛んだったのか?
徳川時代以前は、寺院と武士の社会で男色が盛んだったそうです。
理由は、女性が少なかったから。
寺院や戦場には女性がおらず、その代わりだったみたいです。
なので、若い男に女性的な服を着せていたそうで、戦国大名も小性(武将の身辺の世話をする者で男色の対象になっていた)にキレイな感じの服を着せていたと。
で、そもそも男色の文化を日本に持ち込んだのは空海という説があって、その空海が男色を正当化させるような神話を作ったそうです。
男色は、尊敬されるエリート(寺院、武士)によって行われ、神話によって正当化され、むしろ賞賛に値する行いという認識だったと。
そして、徳川幕府の確立と都市の発展によって町人層の男色が出現。
一般庶民は、もちろん寺院や武士の行いを知っていたので、同性への欲求を「自然なこと」「魅力的な行為」と考えるようになっていたと。
●なぜ衰退したか?
原因のひとつに不景気があります。
男色が町人層にまで広がっていったことで、男娼(男性の売春)が発展したそうですが、不景気により1780年代には男娼は90%も減少したそうです。
また、改革のたびに売春や卑猥な美術などに規制がかかり、ついには水野忠邦(10代目徳川家治あたりの大老)により男娼の茶屋が閉鎖されました。
別の原因として、女性が徐々に増えていったことも影響しているそうで、
1730年には女性100人に対して男性170人だったそうですが、徐々に差は縮み明治維新の前年(1867年)には100:100になったと。
そして、西洋文化を取り入れたことが衰退の決定打になったようです。
1700〜1800年代にかけて、蘭学者たちによるオランダの性習慣を肯定する動きが出てきました。
オランダでは男色が厳しく禁止され、
「犯せし人は火あぶり」「犯されたる少年は海に沈められた」そうです。
そういった動きにより、1900年代後半には、日本の支配層は「同性愛は自然に反する」という見解を持つように…。
新聞や週刊誌などで、男色は否定すべき行為であることが主張されていき、それが常識になっていったと。
興味本意でしかないテーマでしたが、読んでみて思うところがありました。
今でこそ世の中は「多様性を認めよう」という流れになっていますが、支配層によって発展したり衰退させられたり、手のひら返すように認められたり…
当事者はたまったもんじゃないだろうなと。
コメント