第二次世界大戦におけるナチス強制収容所から生還した、ヴィクトール・フランクルという精神科医が書いた本です。
ユダヤ人迫害。
ここまで命を軽く扱われた出来事は、他にないんじゃないかなと個人的に思います。
「人生にイエスと言う」というのはつまり「生まれてきて良かった」ってことだと勝手に解釈しました。
そんな体験をしたのにもかかわらず、どんな考えを持てたら「それでも生まれてきて良かった」と言えるのか、少しでも理解できたらいいなと思います。
テーマは「人生の意味」についてだと解釈していますが、ちょっと深すぎるので、もう少し身近な感じにして考えてみます。
たまに、読書したり自己研鑽したりしていて「何のためやったっけ?」と、自分のやっていることに意味を見いだせなくなることがあります。
自分または子孫が、歴史に残るようなことを成し遂げでもしたら、自分が死んだとしても「なんか人類に貢献したな」と、人生の意味を見出せそうな感じはします。
となると、じゃあ偉業を成し遂げることもなく細々と生きている人や、子供がいない人は意味がない?という話になるので、そういうことではなさそうです。
少しヒントになるような言葉がいくつかありました。
そもそも「生きる意味があるか」と問うこと自体が間違いで、人生の方から自分に問いを出しており「人生が出す問い」に答えを出さなければならない、らしいです。
「私は人生に何を期待できるか」ではなく、
「人生は私に何を期待しているか」と問う。
自分で考えて人生に意味付けしなさい、みたいな感じだと思います。
人生が出す問いへの答え方は、
①活動や作品の創造によって答える
②美の体験によって答える
③苦悩することによって答える
だそうです(正直②③はよく分かりません)。
そして、
人間は一人一人が代替えがきかない唯一の存在ではあるのですが、ただ単に唯一であるだけでは価値がなくて(例えば一人一人、指紋が違うとか)、「人間の共同体(コミュニティ)にとって唯一である場合に価値がありうる」と。
つまり、自分しかできない、または自分しかやらないことを、共同体のためにやることで、人生に意味を見出すことができる、ということだと思います。
著名人であれば「日本人」「人類」など、大きな共同体が対象になっていると思います。
本を読んでいて「何のためやったっけ?」という疑問が生まれるのは、著者と自分との間に、共同体の大きさのギャップがあるからだと、腑に落ちました。
自分が影響を及ぼすことができる、狭い範囲の共同体(職場、家族、友達)に対して、活動や作品をもって貢献していきます。
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